子どもの内面の発達支援相談と保育者をサポート  北城優子

enfanceアンファンス 保育療育支援 北城優子

子どもの発達支援相談と
日々子どもたちと関わっている保育者がこころも体もいいコンディションで楽しく仕事ができるようにサポートをしています。


■社会福祉学科を卒業後、保育士として保育園、その他の施設で
約10年間勤務。
その後、無認可保育所を開設し保育士兼施設責任者として5年間勤務。
さらにそこを基盤に多くの方々と一緒に社会福祉法人を創設し、認可保育園を開設するとともに園長になる。
体調を崩して園長を退職した後は、療養期間を経て児童発達支援、放デイで

記事一覧(15)

【発達:言葉の育ち】言葉の根っこを育てたい

言葉は、その物の名前が「言える」ことではなくてその物を大人と共有しながら気持ちのやり取りをすることで内面がともなったものになっていきます。本の絵ではなくて「フワッと顔に風が当たった」とか「ワンワン犬に吠えられた」という実際の経験が、子どものこころを育てます。こころ動く経験と、それを「伝えたい!」相手がいることで言葉がより豊かに育っていきます。0歳後半から1歳ころにかけてこのやり取りが大人との関係で豊かに積み重なっていくうちに「指さし」が出てきます。「言葉の前のことば」と言われるこの指さしがあるかどうか、めっちゃ大事です。指さしが出るってことは・「あ!アレ見つけた!」とこころが動いている・それをそばにいる大人に「伝えたい!」という気持ちが育っている・「ホントやね~。〇いたね~」と他者と気持ちを通い合わせているってことですからね。人が人として生きていくとき、大事になってくるのは「他者との関わり」です。大人になってからも悩みのほとんどは人間関係といっていいぐらい。なので3つめの「他者と気持ちを通い合わせる」というのはとても大事でこのちからを育てるのには「ホントやね~。〇だね~」という「大人の共感力」と「受け止め力」がカギになるんです。前置きが長くなってしまいましたが…こうして言葉を獲得していく成長の道すじは、障害があるなしにかかわらずみんな同じです。自閉症で言葉が出ないというお子さんもたくさん散歩に出かけて「今日も暑いね~。おひさまギラギラしてるね~」「あ、木陰に入ると風が涼しいね~」「セミがあんなところで鳴いてるよ」…いっぱい会話を楽しみながら気持ちのやり取りをしていくと指さし、出てきますよ!大人が話した言葉を言うようにもなります。やり取りをもっと積み重ねたら二語文、三語分…になって育ってきます。たとえ出る言葉が少なかったとしてもこころが育っていると目や表情で訴えてくるようになりますので何が言いたいのか大人側もよく受け取れるようになります。気持ちのやり取りができるとお互いの関係がとてもスムーズになりますよね。☆気持ちにゆとりをもって子どもに接することができるためにもまずは大人がご機嫌でいられる工夫をしよう

【発達:言葉の育ち】これって発達障害?

療育につながっているお子さんの保護者の方にお話をうかがうときは赤ちゃんのときからの様子をおしえていただきます。すると、「言葉が遅かった」とおっしゃることが多いです。特に男の子。 ただ、今お子さんに関わっていても言葉に関しては気になることがほぼない。もちろん、これまでの療育が今の姿につながっている面もあるのでしょうが、私が感じるのは「育ちそびれ」ということ。「言葉」は、図鑑や物のイラストばかりの載った絵本を見てその名前が言えるようになったら「育った」と言えるのではないです。テレビやDVDも一方的に流れるだけで、その子に合った返事や語りかけをしてくれるわけではないのでやっぱり「言葉を育てる」ことはできません。言葉が育つのに大切なのは、ひととの「やり取り」です。外に出かけて気持ちいい風がぴゅーっと顔に当たる。「あ~風が気持ちいいね~」と大人が語りかける。近所の犬に出くわし、ワンワン!と吠えられる。子どもは思わず泣く。「あ~びっくりしたね~」と話しかける。「あ、こんなとこに花が咲いてるよ。キレイだね~」一緒に同じものを見る。(第三者の共有っていいます)…こんな心地いいやり取りが、言葉を育てます。言葉の前に、気持ちのやり取りをしてるんですね。子どもは「目」で訴えてきます。その気持ちを大人がくみ取って言葉にしていくと「こころ」が育ち、そこに「言葉」がともなってきます。先の図鑑や絵本、テレビやDVDの一方的な感じでは、内面が育たないんです。もちろん、絵本を読んでもらいながら「心地いい」やり取りがあると子どものこころは栄養をたくさんもらえますね。「言葉が遅かった」と療育につながったお子さんを見ていると、赤ちゃんのときからのこういったおかあさんや身近な大人とのやり取りがとても少なかったんじゃないかなーと想像するケースが多いです。おかあさんが働いていない場合だと、幼稚園へ行くまでおかあさんとの世界になることが多いのでできるだけ集団に入れる場を持ったり、保育園の園庭開放に出かけていくなど子どももおかあさんも意識して世界を広げていくようにするといいなぁと思います。☆子どもの個性・特性に親の個性・特性が掛け合わさると、子どもの特性がより強化されることがあるお気軽にご連絡くださいね。

「1歳半の節ってなに?」

小学生や中学生になってからでも子どもたちが他の子たちと関わる様子を見ていると、つくづく「1歳半の節」がやっぱり大切なんだな~と感じさせられることが多いです。で、いったい1歳半の節ってなに?ってことなのですが…子どもの発達のなかでもとても大切な節目ですのでひとつの記事でコンパクトにまとめられるものでもないのですが自分の学びのためにも少し書いてみたいと思います。=======1歳半頃というのは「二足歩行」ができ、「道具を道具として使用」し、「言葉を獲得」するといった大きな変化が見られるときです。ただ、これらができるようになったからといって「1歳半の節をこえた」と言えるわけではありません。これらのちからを自分のちからとして使いこなす「主体」ができているかがとても大切です。全身運動や手指の操作などをふくめた生活のなかのさまざまな活動において「自分で~したい」という願いと目的を持って「自分でできた!」と達成感を感じ「もっと~しよう!」と活動を再生産していく主体としての「自我」がうまれているかがとても重要になります。=======具体的な場面では…節を越える前の1歳前半の時期、「だだこね」といわれる姿がよく見られます。砂場で遊んでいるのに大人に「ごはんの時間だから片付けてもう帰ろう」と言われ「まだあそぶ~~!!(こころの声)」とひっくり返って怒るとか、ごはんを一応食べ終わり、お皿に残ったもので遊び始めているので「ごちそうさまして片付けようね」と言うと「うわぁ~~ん!!」とイスからずり落ちそうになりながら泣き叫ぶとか…よくありますよね。 大人もホトホト手を焼く場面です(^-^;こんなとき子どもの内面をみてみると…「~したい」という自分なりの思いが育ってきてそれを「~なんだよー!」と一直線に主張していることがわかります。まさに1の字を書く上差し1歳児と言われる所以ですね。この「一直線」というのが1歳前半期の特徴です。これが1歳半の節を越えると「~ではなく~なんだ」という思考スタイルを獲得します。 これまで何を見ても「ワンワン!」と言っていたのが「ワンワンではなくニャンニャンだ」とわかるようになるんですね。 スバラシイ!=======子どもなりの思いを主張している姿のもうひとつの内面は主張すると同時に「相手の主張を受け入れるこころの窓ができ始めている」ということです。 ひっくり返って泣きながらも相手の言うことを聞いてるんですね。そういえばチラッと大人の方に視線を向けている瞬間あったよな…心当たりありませんか(^.^)?なので、「先生が片付けよか?〇ちゃんが片付ける?」「先生と手つないで帰る?〇ちゃん自分で歩いて帰る?」といった二択の選択肢を示してあげると泣きやんでとてもスムーズに次の行動に移れたりします。「自分で選ぶ」というのはとても主体的な行動ですからね。なんせ自我がうまれて主張している時期ですから主体的な行動が発達要求にピタッと合うんですね。「片付ける」とか「帰る」ことに変わりはないんですが「自分で選ぶ」となるとスムーズにできるんですね。あれだけひっくり返って泣いていても。ここがいじらしいと言いますか、頼もしいと言いますか、笑っちゃうと言いますか…とにかくかわいい。=======いつもいつも二択を示せばうまくいくというものではないですしその場そのときによって違う対応が必要にもなってくるんですが子どもの発達(要求)を知っておけば大人がどうすればいいのかのヒントが見つかりやすいんですね。それに「平均的な発達では1歳半頃」ということですのでその子によってはこの節目が違う時期になることもあります。ただ、発達の順番は大切ですが。1歳半の節を越えていくにはその前の段階で土台が充実していることが不可欠です。大好きな大人との信頼関係(安心感、安全感をともなって)ができていることや子ども自身が生活の主人公になって他者との関係を結んだり「自分でやりたい」こころを育んでいることがとっても大切です。この土台となるちからが不十分だったりなんらかの宿題を残していると大きな発達の節目を越えていくことができません。年齢が高くなってから目の前の子どもの対応に困ることがあるというとき子どもの姿をひも解いていくと1歳半の節をしっかり越えてきていないんじゃないかと見受けられる場合が多くあります。節目を越えずに大きくなってこじらせているときにはやっぱりさかのぼってこの土台を作り直すことから始めます。1歳半前後の子どもへの関わり方とは違って難しさもありますが本質をみて、その子の今の発達要求をみて大人が関わっていけばちからは育ちますし、子どもの姿も変化していきますよ。 「矛盾を越えるのが成長」は人間発展の法則ですからね😉

【子どもの発達・5歳半ごろ】「だんだん~」の世界がわかり始めるとこうなる

「だんだん~」という認識がすすんでくるのはおよそ5歳半ごろです。発達をみるときには、子どもの前に紙と鉛筆を置いて「一番小さい丸からだんだん大きくして、一番大きい丸まで書いてね」と伝えてその様子を見ることがあります。生活の中でもいろんな場面で「だんだん~」って出てきますよね。・本を高さの順に並べる ・背の順に並ぶ ・ごはんを食べたあと食器を運びやすい順番に重ねるなどなど…。思考の上でも「だんだん~」って大切だな~と感じることが、最近特に多いのですよ。・今はできないけど練習していれば「だんだん」上手になる・今はわからないけど何度もくり返しやれば「だんだん」わかるようになる・「だんだん」大きくなる↑のようなことがわかれば、自分のちょっと先の姿に見通しが持てるようになりますね。自分の成長を信じられるようになるのです。自分以外の周りの人や状況についても同じようにとらえられるようにもなります。これは本当に大切なちからですね。さか上りができなくて「オレはダメだぁ~えーん」とガックリきた気持ちから、立ち直り、先の自分に希望を持てるようになるのです☆!そして、くり返しトライする原動力になる。他の子にも励ましや優しい言葉をかけてあげる内面が育ちます。子どもだけではありません。大人にとってもこの「だんだん~」の思考はとても大切だと思います。この考え方ができれば子どもと関わるなかでも今の姿だけを見てガッカリしたり、あきらめたりすることなく将来に希望を持ちながら、「今、何をすればいいか」に集中することができます。これは私たちをラクに自由にさせてくれるし、世界がより広がります。逆に「だんだん~」の考え方がないと、今の状況や状態だけに目がうばわれ、「あるかないか」「できるかできないか」「今~だから」などの「白黒思考」や限定的な考えになってしまいがちです。これはとてももったいないことですよね。「5歳半頃」という年齢にもとらわれることなく子どもも大人も「だんだん」を生活のいろんな場面で経験しながら自分のちからにしていくとともにこの思考スタイルに身近に触れていたいものですね。☆☆「真ん中の世界」をとらえるのもこの頃☆☆

腹が立って子どもにすごく怒ってしまうのは?~かつて子どもだったあなたへ

子どもと接しているとき自分の子ども時代の経験がオーバーラップすることは多いですね。 私の場合は、自分が子ども時代大人にされてイヤだったことは子どもにはせず、「こうしてほしい」「こんな大人がそばにいてくれたらいいのに」と感じていたことを自分はやってあげたいなあと思って常々そうしているつもりです。自分が子ども時代にこうしてほしかったこんな大人にそばにいてほしかった という経験があるからです。 ですが、どんな接し方が正解かなんて決まっている訳ではないですし、子どももひとりひとり違いますから、 これが望ましいだろうと思って接したとしても受け取り方は子どもそれぞれです。 だからこそ難しいのですがおもしろくもある。こわいときもある。 そして、子どもと接するときには自分に問われているなと感じることが多いですね。 子どもが何かやったとき、それに対して大人である自分がどういうふうに子どもに伝えるのか 自分の考え方や感じ方、価値観のようなものが問われます。 子どもと接していることで「私ってこういうとき腹が立つんだ~」と気付くことがありますし、 「子どもにはこう伝えたいよな」と自分の中で考え方がハッキリすることもあります。 そうやって大人も子どもに育ててもらっているのですね。 自分の中で感情が動くとき、それは「自分が何を大事にしているのか」に気付くチャンスでもあります。 ~◆~◆~ Hさんは、すぐ涙を流す人がとても苦手です。職場で何か失敗をしたり会議中に自分のことが話にのぼった時に泣く人を見るととても腹が立つのです。 「仕事中やのになんで泣くの?」「泣いたら許してもらえると思っているのか?」と思います。 幼い頃にさかのぼってみると、Hさんは家族から「Hはすぐ泣く」「ほらまた泣いた」「いつも泣き落とししてズルい」とよく言われていたのだそうです。 そうするうちにHさんはだんだん人前で泣かなくなりました。泣きたいときもグッとこらえて部屋でひとりで泣きました。 小学校のときには「泣かない」ことで何とか泣かせようとする子たちのターゲットになったこともあったそうです。 Hさんは「人前で泣かない」ということを大事にしてきたのです。 なのに「人前ですぐ泣く」という、自分が大事にしてきたルールを破る人を見たから怒りがわいてきたのですね。 自分のなかで禁止していることを人が平気でやると無性に腹が立つというのはよくあることです。 あなたは、子どもが(あるいは大人でも)何かやった時つい感情的になって怒ってしまうということはありますか? どうにも自分の中の感情が動いて自分でも止められないということ。 なんでこんなに怒っちゃうんだろう?と自分でもよくわからないとき。そんなときは、もしかしたら、幼い頃の体験やそのときの感情が沸き起こっているのかもしれませんね。 あなたもかつては子どもでした。子どもの時のままこころのなかに住み続けている自分が反応しているのでしょうね。 自分の感情に気付いて「あ~~今私腹立ってるわ~」と認め、「なんでこんなに腹立つんやろ?」「前にもこんな気持ちになったことあったかな?」と思い起こしてみると、その場面が思い浮かんで腹が立つ理由がわかるかもしれません。 その理由が本当にそうなのか?と考え直してみてもし今はそうでないのなら自分の中のルールを変えることは可能です。 Hさんは「人前で泣いてもいいんだ」と自分に許せるようになってからは 泣く人を見ても「なんだか無性に腹が立つ」ということは減っていったそうです。 こころのなかにいる子どもの自分を自分で育ててあげることはできます。 こころがザワッとしたときが気付くチャンスです♪ ★★そうしたいと思ったらね★★

バランスはとれていますか?

 テニスをやっている子どもたちに「テニスを楽しんでやろう」「練習も試合も楽しむことが大切だ」という言葉をかけたとき、親御さんたちは 「楽しむだけじゃあね~」「人生大変なこともあるんだし」「乗り越えていく精神力をつけないと」 とおっしゃっている場面をよく見かけます。 「楽しむ」ということは、 楽しいと感じることだけやるしんどいことはやらない ということではありません。 「楽に生きる」というのも、 イヤなことは一切せず、好きなことだけして生きるという意味ではありません。 たとえ厳しい練習でも達成感や自分の力が引き出されてくるのを子ども自身が感じてくると、もっと練習したい!と自分から言うようになります。楽しいからです。 「楽しむ」という言葉ひとつの中にもいろんな意味のバランスがありますね。 「頑張らなくてもいい」というのも、なまけものになっていいという意味ではありません。 「ひとのことばかり気にせずもっと自分を優先していい」というのは、自分勝手にしていいという意味ではありません。 頑張り過ぎて体調崩すぐらいしんどくなっているなら、もっと自分を休ませる必要があるということ。 ひとがどう思うかを優先しすぎて自分を置いてけぼりにしているなら、もっと自分が何を感じているかを気にしようという意味です。 何事もバランスが大切なのです。 どちらかに偏り過ぎていると不具合が生じます。 首や肩や腕がどんどん前かがみになっていったら、ダルくなったり凝ったり呼吸が浅くなったりしますね。そうしたら、胸を広げて首や肩を後ろへ伸ばし、肩甲骨を引き寄せる必要がある。 片方へ傾き過ぎているので反対方向も意識するのです。 自分もひとも周りの状況も常に変化しているから、そのなかでのバランスを考える。 「仕事に傾き過ぎてるかな~」「趣味にハマり過ぎてるかな~」「家族と過ごす時間が足りないかな~」etc. エトセトラ・・・変化する状況その時々でバランスを考える。 こころのサインを注意して受け取っていればわかります。(普段から頭とこころの風通しを良くしておくことが必要ですね♪) 一方で、同じ状況が続いて安定していると思っているとき、何かが起きてトラブルだと感じることがありますが、 それは「変化した方がいい」という合図の可能性があります。 それまでのバランスが崩れてうまくいかないなと感じたとしても、それは古くなった考え方ややり方を変えるチャンスなのです。 ~変化する中でバランスをとる・変化するからこそバランスがとれる~

保育士のあなたへ

私は長く保育園で働いていました。今の保育園は本当に求められることが多いですね。毎日の保育や行事はもちろん、保護者とのやり取りやクレーム対応、地域とのかかわりや園外に向けての子育て相談、通信物や書類も多いし、制度が変えられることへの対応もめまぐるしいです。とにかく忙しい。そして疲れます。感情労働だし肉体労働だし、予期しないことが起きるのが日常だから、からだとこころへの負担がすごく大きい。保育者の方はもともとひとのお世話をするのが好きでがんばりやさんな方たちが多いですが、その分、自分のことは後回しにしちゃっていませんか?自分がじゅうぶんな状態であってこそ、ひとにもよりよい対応ができますね。疲れていたらイライラしちゃうし、相手のことが許せなくなってしまいがち。自分のケアにじゅうぶんな時間とお金をかけることも大切に考えてほしいなと思うのです。保育の仕事は、こどもの特性や保護者の特性を理解して対応しようとすればどんどん勉強の幅は広がっていきますし、ひとへの配慮がとても必要な仕事です。それだけに、ひとのこと以上に自分のケアが必要なのです。援助職にとって自分のコンディションをどうやって保つかを知っておくことは責任でもありますね。「私がもっと頑張って何とかする」には限界があるのです。思っていることを全部はなかなか言えないことも多いと思います。ですが、気持ちをガマンしたり、自分を抑えたりしていると、あるとき爆発したり、五感が鈍くなっていったりします。肩こりや腰痛のマッサージと同じように、日ごろから、こころ のメンテナンスもしてあげてくださいね。あなたの内面が変化すれば今の状況の受け止め方が変わります。物事の捉え方が変われば、目の前のしんどい状況が今すぐに変わらなかったとしてもストレス具合は断然軽くなります 。そして、あなたの考え方や感じ方の変化は周りの人や状況に自ずと影響を及ぼし、だんだん変化していきますよ。

子育てで気になることは何ですか?~子どものことがもっとよくわかれば毎日が楽しくなる

小さいお子さんをお持ちのおかあさん方、日々さまざまな悩み事、困り事がありますよね?特に初めての子育ての場合は、「なかなか寝ない」「寝てもすぐ起きる」「離乳食はいつからどんなふうに始めたらいいの?」「この子はよく食べてる方なの?それとも少ない?」「なんで泣いてるのかわからない」「何をやっても泣き止まない」「何度言っても同じことをする」「なんか発達が遅いような気がする」「ついイライラして怒鳴ってしまう」・・・・・・などなど次々といろんなことが起こり息つく暇がないですね。誰かに相談できたり、自分なりに「こうかな?」と思いながら日々過ごせるならいいのですが、「相談できる人が近くにいない」「誰に相談していいかわからない」「相談した方がいいのかどうかわからず漠然とした不安がある」「相談しても事態が変わらない」といった場合、おかあさんご自身はどんどん不安や苛立ちがつのりますね。おかあさんの不安やイライラはお子さんがいちばん敏感に感じ取っています。そのことがまた、泣きや寝ないといった状況につながりますますおかあさんは不安とイライラ・・・と悪循環を繰り返します。「おかあさんっていうのはいつもニコニコしてて、子どもの事が一番大事で母性があふれてるよね~」「おかあさんってそういうものだよね~」周りからそう思われているだろうと思うこと自体がしんどいー・・・ そんなふうに感じたことはないですか?「おかあさん神話」・・・ですね。「そうあってほしい」という「おかあさん以外」の人の希望なのかもしれません。ただ、それがおかあさんの心の重石になることも多いです。おかあさんだって、いつもニコニコ元気にしていられるわけじゃないいつも子どもに優しくできるばかりじゃないイライラもするし、ごはん作りたくない日だってあるそれが当たり前。そして、そのおかあさんの気持ちをヒシヒシと全身で感じ取るのは子どもたちなだけに、子どもたちが安心して大きくなるにはおかあさんが笑顔でいてくれることがいちばん嬉しいですね。そのためには、おかあさんご自身が満たされていることが大事です。おかあさんが、好きなことをしたりお子さんから少し離れられる時間を持てたり何も気にせず眠ったりそんなことができるとずいぶんリフレッシュ&リラックスできるのではないですか?たとえ少しでもおかあさんがご自分に優しくする(自分がごきげんでいられるようにする)時間をもつ工夫をされることをおすすめしますよ。自分のケアを忘れずに。肩の力を抜いて自分らしく。そして、「子どものことがよくわかる」ということが子育ての見通しが持てたり、どーんと構えてお子さんと接することができることにつながります。もし、「子どもの事がわからないけど、誰に聞いていいかわからない」「こんなことひとに聞けない」と感じていたら、いつでもご連絡くださいね。

保育士はケアが必要なワケ

なんかモヤモヤするけど、コレって相談に行った方がいいのかな? どこに行けばいいの? 毎日忙しいけど悩みっていってもみんな一緒だしね自分が特別なワケじゃない 私はまだ元気だし大丈夫! … と思っていらっしゃる方は多いのではないでしょうか? 私もそうでした。 悩んでることをひとに言ってもしょうがないし愚痴を言う自分にも会いたくない。相談が必要なことは仕事も人生も先輩に聞けてるし自分のことは自分で解決できる。 って思っていました。 でも、 結果どんどん自分ひとりでいろんなこと抱えこんでしんどくなっていってました。 ためこんでしまったものや期間が多すぎてもうヘトヘトになっているのに それでも 「休めない」「自分がやらないと」 と体の症状やこころの声を無視して走り続けた結果、 とうとう帰らぬ人になりかけ、その直前で体が強制シャットダウンしました。 体のあらゆる機能が落ちていました。 毎日元気に出勤しているように見えていた同僚がある日、突然来れなくなってしまったこともありました。 そう。 ある日、突然 そんな日がくるのです。 コーチングをなさっている方が「カウンセリングではマイナスからゼロへコーチングではゼロからプラスへ」 とおっしゃっていたのを聞いて「なるほど~」と思ったことがあります。 だからといってカウンセリングが すっごく悩んでいる人がいくところ 病気になりそうになったらいくところ というわけではありません。そんなふうに誤解されていることがとても残念でなりません。日本ではまだまだそんなふうに認知されていることが多いですよね。 でも、ごく生活の一部として ・ 今日は保護者にめっちゃキツく責められてダメージ受けたからすぐケア… ・ 明日ちょっと緊張する会議があるからその前に… ・ 自分のコンディションを保つために継続して… 気軽に利用できるように早くなってほしいなあと思います。 (もちろん、悩みや解決したいことがあるときにもね) アスリートが練習や試合が終わった後に必ずトレーナーにマッサージを受けるのと同じです。 日頃からこまめにメンテナンス。 疲れや不調がたまっている体なら念入りにほぐして、ケアしてまたハードに動ける体になるまでもっていく。 動ける体になっていてもトレーニングや試合でたくさん使ったときには すぐあとメンテナンスしていい状態を維持する。 プロは自分の体調管理にものすごく気をつかいますよね。 ただ、 体はケガすれば目で見えますし、痛みやちょっとした不調も自覚しやすい。 ですので、ケアの必要にも意識が向きやすい。 ですが、こころは傷ついても痛みがあっても不調があっても 目に見えない。 (ホントは体の症状を通して一生懸命サインを送っているんです!) なので、 気のせいだろうとか 自分が弱いからだとか こんなもんだとか ついついがまんしてしまう・・・といったことがどうしても多くなってしまうのですね。 それでもアスリートは自分のメンタルケアに対しても意識が高いです。 食事や栄養どんなものを見るか聞くかなど フィジカルだけでなくメンタルのケアやトレーニングも欠かしません。 同じプロの私たちは・・・? 毎日、自分の食事やこころと身体の状態について どのくらい意識を向けているでしょうかーー? 対人援助職といわれる保育の仕事は、日々、肉体的にも精神的にもストレスが多いのが特徴です。 ストレスが蓄積して疲弊状態になったりバーンアウト、離職にいたる場合も多いです。 他者にエネルギーを注ぐ仕事だから自分にエネルギーを補給しなければ枯渇して燃え尽きてしまうんですよね。 自分のエネルギー状態に日頃から気をつけて、ガス欠にならないように日頃からエネルギー補給しときましょうね。 人を援助するプロしてはいつも自分をいいコンディションにしておくのは責任にもなってきます。 子どもや保護者など、他者にエネルギーを注ぐことだけが仕事なのではなく、 「他者にエネルギーが注げる自分であること」 が仕事の前提として大事になってきますね。 毎日の子どもたちの保育や保護者への対応などひとに意識を向けることが日常になっていて自分のことがつい後回しになっていませんか? 「先生っていつも〇〇ね」と言われるようにいつも気を遣っていませんか? 忙しくて疲れがたまっているのにそれに気が付かないでいませんか? 自分のケアに時間とお金を使うのがもったいないあるいは罪悪感を感じることはないですか? いいんですよ♪自分にもっと優しくしてあげて。 ひとには「だいじょうぶ?」「休んだら?」って言ってあげるように その言葉、自分にかけてあげましょ^^ 肩こりや腰痛がひどくてからだがお疲れのときはアロマトリートメントやマッサージに行ったり 頭が疲れたら美容院でヘッドマッサージしてもらって気持ちよくウトウト💤 自分だけの時間も大切にして心地よい時間を自分に与えてあげましょうね。 セッションの時間もそれと同じです。こころを解放できる場所。 私も仕事がだんだんキツくなってきて、カウンセリング行こうかな~と探し始めたときは、 保険がきいたらねもうちょっと安く受けられるのにねで、どこ行ったらいいかわからんし と思ってました。 でも保険がきくところは予約がいつまで先やねん?!てぐらい混んでたし、なかなかそういう場所自体がなかったりしました。 で、自分では探せないまま時間が過ぎ、ストレスの状態はどんどんひどくなり・・・というとき、やっとひとから紹介してもらったところに通い出しました。 ・・・ 通い続けて救われましたー。けっして料金が安いところではなかったですが、そんなこと言ってられないぐらいにキツくなっていましたし安い所はちょっと不安もありましたしね。そこは通ってよかったです。 きっかけは目の前に起きていることがもう自分ではどうしようもなくなったからでしたが、 相談してとても楽になりました。 「目の前の問題」や「その時だけ」でなく、人生そのものが楽に生きられるようになりました。 どんな自分も自分で受け入れられるようになりましたよ。「スゴく頑張って肩肘張っていたわたし」も「こころに壁をつくってひとをよせつけないようにしてたわたし」も「コワくて不安でビクビクしてたわたし」も全部わたし、と。そのときはそうするしかなかった。だからそんな自分もOK.。 物事の捉え方も変わりました。すごく攻撃的にクレームを言ってくる保護者がいても以前と今では感じ方が違うのですよねー。 「ま、こんなこともあるわな」「この人はこうなんや」と。 今はほぼストレスを感じなくなりましたし心地よくない感じを受けても自分のなかで消化して次にいかすものを引き出すまでが早くなりました。イヤな人からは逃げてもいいってわかったし。 ストレスを自覚しても「あ~~コレが気になってるんだわ~」と認めたらさほど大ごとにはなりませんしね。 いつどこで誰と会っていても自分のままで接することができるので余計な気を遣って疲れることもありません。 とってもラクですよ。 どんな自分もOKだから自分がすきになる。だから自分に優しくしてごきげんになれることをいつも選んであげるようになる。 ごきげんはまわりにも伝染していく。 いい循環ですねぇ。  自分と向き合い寄り添ってあげるっていいですね。自分の思いが安全に出せるっていうのは、ものすごく救われました。本音を出せるところがなくなっていたので。セッションの場では何を話しても「わかってもらえる!」って感じることができたのもエネルギーを取り戻すちからになりました。誰かに話すとたいてい「みんな一緒だよ」なんて言われるし。分かってもらえるから自分はこれでいいんだって思えたし、行きつ戻りつしながらも自分のペースですすんでいくことができました。 あなたが、今の仕事が好きでこれからも続けていきたいと思っているなら、 安全に何でも話せる相手、エネルギーが出てくる場所を持っていることをぜひおススメしますよ。(あなたがかえってガックリするような返事をしない人のところね) ・・・ あなたは今ごきげんですか?

「発達障害は増えている?」

発達障害という言葉が、ここ何年かで急速に広がってきました。発達障害と診断されるケースは増えたでしょうし、確かに保育園の現場でも、「気になる子」「グレーゾーン」といわれるお子さんが増えてきています。けれど、昔はそういうお子さんがいなかったのかというと、そうではありません。昔も、いました。本当に、近年急に発達障害の子どもは増えてきたのでしょうか?数が増えたというより、社会の関心が発達障害に向き始めたということかもしれません。言葉とその概念が広く知られるようになって、これまで「あれ?この子ちょっと変わってるね・・・」という程度だったのが、発達障害と診断されるという数が増えたのでしょう。発達障害は、その子の持つ脳の機能の特性や、その子をとりまく環境の中で育つうちに、アンバランスさを持って発達し、コミュニケーションや認知・運動などの能力に偏りが生まれたのだと考えられます。子どもの言動に影響を及ぼすものは、生まれ持ったその子の資質や親との関係、身近な大人の接し方、友だちとの関わりなど、さまざまです。現代の、私たち大人の生活は、ひと昔前に比べるとよりスピードアップし、複雑になっていますし、子どもたちの生活リズムや食生活も大きく変わりました。仕事で心身ともに疲れ、イライラし、余裕のない大人の状況は、子どもに直結します。子どもはいつも「早く早く」と追い立てられ、ゆっくり見守る、その子らしさを認めて受け入れる、という余裕が大人側になくなってきているまま子どもに接してしまっていることもあるでしょう。現代の生活環境は、以前なら問題にならなかった個性の子までも生きづらさを感じるようになってきているということもいえます。原因は何であれ、その子が今、日常の保育園生活・学校生活に困っていることがあったり、生きづらさを感じているのなら、周りの大人は、特性を理解し、その子に合った具体的な手立てを取っていくことが必要なのは一緒です。大人になっても同じですし、大人になってから気付いた場合も同じです。苦手な部分に対応したり、得意なことをいかせる職種に就いたりするためにも、特性を周りと本人がよく理解し、人や社会との関わり方を知っていくといいですね。気付いた時から始めましょう♪

「子どもはやがて大人になる ~発達障害のこと」こと

当たり前のことですが、人はみんなそれぞれ違います。「こういうとこあるよね」というのは特性で、その強い弱いやバランスも人によって違います。この特性が「とても強い」と簡単には分かり合えない部分があるので、「なんかちょっと・・・(アノヒトヘン…ワタシトハアワナイ…) 」となることがありますね。とても強い特性を持った子どもは(もちろん大人も)、周りの理解や細かな工夫・助けを必要とするので、それをわかりやすい「個性」として説明しようとしたのが、「発達障害」という名称だと考えてもいいかもしれません。ですので、発達障害は特別なものでなく、特性のひとつひとつは私たちも持ち合わせているものです。ただ、その度合いがとても強かったり、いくつも集まったり、ほかとのバランスが偏っていたりするので、その子が、不安なく明るい気持ちで毎日を過ごすために、周りの理解や工夫が必要なのですね。子どもは成長して、大人になります。できるだけ小さいうちに周りの大人が特性を見つけ、理解し、具体的な手立てを取ってあげたいものです。そして、子ども本人も大きくなっていくずつ、自分の特性を知って受け入れていくことが大切だと思うのです。幼い頃に、自分の特性をからかわれたり、否定された経験をすると、「自分はダメなんだ」と思い込むようになったり、大人になってからもマイナスの影響を持ち続けがちです。「自分にはこういうところがある」「こうやって対応すればいい」ということを自分で知っていれば、強みにすることもできるし、前に進んでいけますね。人より突出してるってことをプラスにいかせば、突出している分だけ、とてつもなく素晴らしいことにつながる可能性が高まります。強烈な個性や才能を発揮して、道を拓いたり大業を成した著名な方はたくさんいます。自閉スペクトラム症の「スペクトラム」は、「連続体」という意味で、同じ自閉症の特性を持つ子どもでも、特性のあらわれ方には差があり、それぞれ違って見えるけれど基本的なところでは連続しているという考え方だそうです。現在はこの考え方がさらに広がり、ADHD・LDなどの発達障害を区別するのでなく、連続していると考える「発達障害スペクトラム」という考え方へと発展しているのだそうです。保育園でも、「発達障害」という言葉を知ってから、目の前のお子さんを理解する幅がとても広がりました。ただ言葉の響きから、抵抗を感じる部分も(特に保護者は)あったかもしれません。スペクトラムという考え方は、そこから私たちを解放してくれました。発達障害が何か特別に違っているわけではなく、私たちみんな延長線上にいるのですから。お子さんを(大人も)ありのまま見て、特性を見つけ、本人が困ったり生きづらさを感じるようなことがあれば、どういう工夫が必要かを本人も周りも理解していけばいいのですよね 。

特性を強みにする

ウォズニアッキというかつてランキングNo.1の女子テニスプレーヤーがいます。彼女は、ランキングでNo.1になりましたが、グランドスラム(一番大きい4大大会)でのタイトルがありませんでした。そのうち、ランキングも下がってきたとき、周りからは、「つなげるだけではダメだ」「決め球がないと」「パワーテニスに対抗できないと」「もっとネットプレーが必要だ」など、「もっと変化する必要がある」と、いろいろなことを言われました。実際、彼女やそのチームは、トレーニングや戦術・プレースタイルetc.  これまでを変えるために、さまざまなことを試したそうです。ですが、成績にはなかなかつながりませんでした。そして、再びランキングが上がってきたときの、彼女のプレーはというと、以前の彼女の持ち味をいかしたスタイルでした。「とにかく走りまくって返す」「走ってどんなボールでも取る」走ることに関しては、フルマラソンに何度も出場するほどのレベルです。テニスプレーヤーなのに。走り込んでいるので、筋肉のつき方や持久力も以前とは違っていました。彼女の粘り強いプレーは、相手にプレッシャーをかけてミスを誘うことになったり、自身が展開するプレーや攻撃にもつながりました。結果それがポイントになり、試合に勝利し、ランキングも徐々にあげることになったのです。やっぱり「自分」に戻っていくのですよね。それが結果を出すことにつながる。「私のコレをいかす!」と決めたら強いです。足りないものを他に求めるより、自分がすでに持っているものを活かす・進化させるというのが自分にとっても無理がないです。長所や短所、とよく言いますが、「私の〇〇なところ」はひとつの事実に過ぎません。それも、受け取る人や、場所によって〇〇は変わります。たとえば「声が大きい」と言っても、誰が大きいと感じるのか、どんな場所なら大きいと感じるのか、などで変わってきますね。「ちょうどいい」こともあるし「小さい」と感じるときもあるかもしれない。すべて「特性」「持ち味」なのです。良い悪いではない。ただそうなだけ。だから、自分のいろんな面を良い・悪いと色づけせずに、「自分にはこういうところがある」と自覚すればいいのです。認めて受け入れる。そして、対処法や強みとして活かす方法を考えるのがいい。人それぞれ、たくさんの特性を持っていますね。大いに強みとしていかしましょう。